こんにちは。ゆうです。

今回皆さんには、この文章を読んでいただくことでhave to (~しなければならない をwant to(~したい)にするための方向性を身につけていただきます。

誰しも日常や人生の中にhave to があると思うのですが、これらは自分の解釈次第でいくらでもwant to に変換することができます。

解釈を変えていく、というテクニックを身につけると、人生に悩みや不安や迷いがなくなって〝今すべきこと〟にエネルギーを注ぐことができるようになります。また、そのすべきことがwant toになるので、無理して頑張ろうとしなくても自然とそれができるようになるのです。

全て、解釈(捉え方)次第でそれが可能です。

解釈というのは大きく分けて2つあります。

1)ポジティブな解釈(外向き)

2)ネガティブな解釈(内向き)

あらゆる個人間、社会的問題全てに通じることですが、それは「ネガティブな解釈をしている」ことが原因で起こっています。このネガティブな解釈をポジティブに変換すれば、全て解決するということです。

というのも、私達の生きるこの世界は

〝意識〟

が創り出しているからです。

意識というのは、あなたが心の中で考えること、想像する映像、発する言葉のことです。この文章を読んでいる間にも、何かしら考えが頭に浮かんでいるはずです。

「この人は一体何が言いたいんだろう・・」

「意識?そりゃそうだけど、何が言いたいの?」

とか。笑

あまりにも皆さんの中に当たり前に〝ある〟ので、いちいちそれを認識しようとか思わないのですが、実はその意識をどう形作っていくか?が、あなたの人生を決めます。

意識が、「現象、結果、目に見える世界」を創り出しているのです。

もしあなたがこの文章に対して「たいしたことない文章」という解釈をしたら、そういう文章になります。対して「悩みを解決してくれる手掛かりになる文章」と解釈したら、そういう文章になるわけです。なので、是非良い解釈をしていただきたいですが・・。

極端な話。

もしあなたが「仕事に行きたくない・・」と感じているとします。

その行きたくないという思いは、これからお伝えする〝解釈の変換〟をしていただければ、すぐに「行きたい!」にすることができます。「でも~と会いたくないしな・・」という言葉が出てくるとしたら、それも解釈の変換をすれば「~と会いたい!」にすることができます。

解釈力を身につけて意識をコントロールできるようになると、この変換作業が一瞬(0.000….1秒/速)で出来るようになるので、もはや迷ったり悩んだりすることを忘れるくらいやるべきことに熱中できるようになるでしょう。

とはいえ、もちろんそんな簡単な話ではありません。

仏教の修行者が山に行って悟りをひらくのも、結局はこの解釈の変換をしています。あらゆる悩みや迷いは全て幻想であり、悩んだり迷ったりする必要はないんだ、と気づくこと。これが悟りです。でも悟るためには、やっぱり山に行ったりお経を唱えたり精進料理で生活したりしないといけないわけです。笑 現代社会で普通に生きる私達にとっては、ちょっと難しいですよね。

もちろん、みどりのお伝えするエッセンスは、普通に日常生活を生きて仕事をしていく中で実践できるものです。特に難しいことをする必要もありませんのでご安心ください。

ただ、今直ぐに問題や悩みが解決されるものでもありません。

日々自分の脳内に良い言葉を言い聞かせたり、勉強していく必要があります。

まずはあなたの直近の課題に対する向き合い方を変え、前向きに人生を歩むことができるようになることを目指していきましょう。

次にお伝えしたいのは、あらゆる問題の解決策は全て

〝今のあなたの中にある〟ということです。

人は何か課題にぶち当たると、他人や過ごす環境、過去の経験などの外部条件を原因として引っ張ってきます。

そして、あなた自身のやるべきことに蓋をして本質から目を逸らそうとします。

もちろん外部条件も要因のうちに入るのですが、それらをいくら考え不満を漏らしても課題は解決しません。少しキツく聞こえるかもしれませんが、そもそも考える必要すらない、ということです。

考えるべきは、課題を解決するために今この瞬間あなたがどうするか、何をすべきかだけです。

どんな問題であれ、その問題を引き起こしているのは自分自身であり、今のあなたに出来る最大限しか解決策は存在しません。そしてその解決策が実際に課題を解決するかどうかも、わかりません。なので、ただただあなたの信じる〝これ〟という解決策をやるしかないのです。

例えば私には「どうしても気に入らない職場の上司」がいました。

仕事中やたら細かいことを指摘され、ネチネチ言ってくるので「顔を見るのも嫌だ」くらいに思っていたのですが。

どうしても、その人のことを考えると「ああやって指摘してくること自体、自分の価値観を押し付けているだけだ。おかしいしズレている」と頭の中で反論したり、「自分は間違っていない」と正当化したりしていたんですね。

ですが、結局指摘をされている時点で自分にも「指摘をされる原因がある」ということで。自分は出来ていると思い込んで、自分に何ら非がないと省みようとしない傲慢な態度だったな、と反省したことがあります。

そもそも指摘をしていただいている時点で、その指摘を素直に受け入れて学びに変えていけば、より自分自身の成長にも繋がるしお客様の満足にも繋がるわけです。

そう解釈し直したことによって、「指摘されたことを言い訳せずにちゃんと実践する」という解決策を実行しました。すると、その上司との関係性も少しずつ良くなっていき、今では嫌だと思う気持ちがだいぶ落ち着いています。

現状に対して不満が募ると、人はどうしても誰かのせいにしたり感情的になってしまうものですが、〝自分に起こる出来事は全て自分に責任がある〟と開き直ることで、落ち込んだり迷ったりすることはなくなるんですね。

その状態になると、「自分自身に責任があるのだから、自分自身を変えれば良い」と思うことができ、〝他人を変えることができない苦しみ〟に引っ張られることがなくなります。

つまり、「他人を変えるなら、自分を変えるしか手立てはない」ということに気づいているかどうかで、その人の運命はハッキリと左右されますし、幸福度も愕然と変わるのです。どんな課題が起きても、〝ただ自分を変えれば良いだけ〟と捉えることができるからです。

自らに起こる現象は全て自分自身が引き起こしている。まずはこの真実に気づくところから、全てが動き出します。

僕は大学を卒業して社会人になってからダンスで独立しようと会社を辞めたのですが、終始頭の中では「〜さえあれば」と思っていました。

ダンスが上手くなりさえすれば…とか、ダンスで稼げる世の中にさえなれば…とか。

とにかく踊ることが好きだったので、渋谷のダンススクールに通いつつ夜勤バイトをしたり掛け持ちしてなんとか食いつなぐ生活。

毎日練習練習練習…と繰り返し、「上手くなりさえすれば、この生活苦から抜け出せるはず」と思い日々過ごしていました。

ですが練習中、頭の中は終始不安でいっぱい。

「今日の練習でどれだけ上手くなれたんだろう・・」

「今月支払いやばいしな・・練習してる場合じゃない」

経済的苦しみや、周りの人に対して技術が追いついてないことの劣等感。

いろんな雑念がある中で練習していたので、正直全然集中できず一向に上達している実感がありませんでした。というか、単純に効率悪かったんだと思います。

ダンスの練習中は、そのことに対して一心に全力を注げたらよかったんですが、大量のコンセントが刺さっているイメージ。

・お金

・技術

・恋愛

・家のこと

あらゆることに集中力が持っていかれてる状態。

こんな感じだったので、「このまま練習する生活続けててもよくないな」と思い、あらゆることを学ぶ時間を作りました。

・世の中や経済のこと

・不安とはどこからきているのか

・夢とはなんなのか?また叶えるにはどうすれば良いのか?

そうして学んでいくと、今まで疑問すら持っていなかった〝当たり前〟のことが悉(ことごと)く崩されていき、いつの間にか自分の中の常識が変わっていることに気づいたのです。

例えば、「努力して結果を出すことが、幸福な人生を歩むことにつながる」という世の中的な常識。当然のように信じていたのですが、〝結果を出すことは、幸福な人生を歩むことに直接繋がらない〟ということがあります。

もちろん結果を出すために努力するのですが、その努力をする過程(プロセス)の中に本当の幸せが潜んでいる…ということです。

実はこれ、人生のトリックだったりします。過程を心から楽しむことができたら人は幸せを感じるのですが、これはつまり「楽しむ」と今この瞬間あなた自身が決めて、目の前のテーマに向き合い、乗り越えようと工夫していったら、すぐに幸せを掴めるのです。

人生そのものが、死に向かう壮大な過程(プロセス)だとしたら、幸せはあなたの身体の中にもう既にあります。問題は、それを味わうかどうかということです。

幸せを掴むのは理屈の上ではすごく簡単なのですが、実際にやるとなると非常に難しい。ではなぜそう簡単にいかないのでしょうか?

よく言われるのが

・とはいってもお金がないと何もできない

・周りに相談する人がいないし無理

・うちの職場は他と違って大変だから

・生まれつきの影響があって・・

…など。

どれもある意味正解でしょうし、「これ!」という明確な理由があるというよりは、人によって色々と原因は複雑に絡み合っているかと思います。

ですが一つ押さえておいて欲しいのは、これらの原因の根本にあるのはなんなのか?ということです。

根本の部分を押さえておくだけで、人生というのはあまりにも楽になりますし、結果を出すためのプロセスが明確になり迷いが減ります。

ではその根本は何か?というと。

〝決めていない〟

ということです。

言い方を変えると、〝決められない〟のです。

人生を楽しむために、やるべきことってみなさん案外わかっているものです。言うべきことをちゃんと言うとか、思い切った決断をするとか。

事実できることはたくさんあるし、今の自分にとって最もするべきことはなんなのか?も、実はみなさんもうわかっているんです。

でも、それができない。

それは、〝やる〟と決めれないからです。

実は私達人間って、日々生きているといろんな〝念〟の影響を受けています。

念…というと少し怪しく感じるかもしれませんが、普通に生きてたら避けては通れない概念ですので一旦受け入れてみてください。

例えばコンビニに行ったら、そこの店員さんが発している声。その声には感情や思いが乗っかっています。「いらっしゃいませ」という言葉一つとっても、「面倒臭いな」と感じていたらその空気が乗りますし、「お客様に喜んで欲しい!」と思っていたら、そういった前向きな空気が乗っかります。声のトーンも変わります。

我々人間は、そういった念を感じ取る感性を生まれつき備えています。

イライラしている人が近くにいたら、その影響を受けてなんかイライラしますよね。その感覚です。

こういった念の概念は、日本の古くからある教えがベースとなって伝えられているのですが、同時に「魔」という概念があります。

魔というのは、ネガティブな思いやエネルギーと思ってください。

やる気を奪ったり、継続力を削いだり。ポジティブで前向きなエネルギーを奪う働きが、魔です。

よく「魔が差す」とか言いますが、「間(ま)に、魔が差す」のです。

油断すると痛い目みたりしますよね。これは、「真剣な自分」と「真剣でない自分」の「間」に魔が入り込み、残念な結果を引き寄せています。

人と人との関係性も間ですし、理想と現実の間もそうです。

人間関係がこじれるとネガティブになりますし、理想に対して現実が追いついていないと凹んだりします。これらは全部〝魔が差している〟状態なのです。

人々が発する念に、魔が入り込むと、その念を受けた人は当然魔の影響を受けます。

我々は、普段何気なく過ごしていると、自然と魔の影響を受けます。

特に目標や目的意識もなく流されるままに生きている状態って、魔が入りたい放題なんですよね。

「家帰ったら何しようかな〜」と考えて、別になんでもいいや、といった感じだと、意識の状態としては空白になるわけです。そこに魔が入って、だるさや虚しさ、ネガティブな感情を引き起こします。

出来る限り魔が入らないような意識状態を保ちたいわけです。そうすることで、前向きで発展的な人生を送ることができます。

そのためにするべきことが、そう。決めること、なのです。

家帰ったら何をするか。もっと抽象的にいうと、「どんな人生を歩むか」それを自ら決める。

日本語で「ハラを決める」とか言いますが、そうやって決めた人は少々のことがあってもブレません。

こう生きるという明確な軸があるので、失敗しても後悔しないんですね。自分で決めたことだから、自分で責任とれるわけです。

そういう人は、ある意味隙がないので、魔が入り込めません。よって、ネガティブな念を抱きにくくポジティブな感情を抱きやすいです。

決めるというのは、宣言するということでもあります。

日頃から、小さい決断を繰り返していきましょう。それが自信にもつながりますし、前向きで発展的な人生を歩むことに繋がっていきます。

僕自身そうやって行動していると、だんだんと「どうしたらこの苦しみ(不安)から解放されるのか」ということがわかってきました。